誰かの些細なひと言で、
きみは落ち込んだり、舞い上がったりする。
誰かの些細なひと言で、
ぼくはうっとりしたり、ふて寝したりする。
博士であろうと、アスリートであろうと、
俳優であろうと、大富豪であろうと、
美女であろうと、アーティストであろうと、
子どもであろうと、長老であろうと。
誰かの些細なひと言で、
さいっっっこうになったり、
サイテーになったりする。
すごい賞をもらっていようと、
大傑作を生みだしていようと、
万全を期していようと、
正直でいようと、
哲学を持っていようと、
ばつぐんのお笑いセンスを持っていようと、
権力があろうと、腕力があろうと、
悟りを開いていようと、万人に愛されていようと。
どんな人であろうと、
ほんとに、どんな人であろうと、
誰かの些細なひと言で、
今日という日が満ち足りたり、
ぺらぺらのすかすかになったりする。
しっかりと足を踏みしめ歩いて行ける。
誰かの些細なひと言があれば。
からだのあちこちからぶよぶよと空気が抜けていく。
誰かの些細なひと言のせいで。
きみの進んできた道のりはすべて肯定された。
世界中の人たちが陰でくすくすきみを嗤っている。
誰かの些細なひと言で。
たとえば、わずか、ほんの、数文字で。
さいごの口もとの表情だけで。
微妙なちょっとのイントネーションだけで。
誰かの、ほんの、些細な、ひと言で。
だとすると、なんだろう、じぶんというものは。
誰かの、ほんの、些細な、ひと言で、
まったくこのライフの意味は転じてしまうのか。
あまりにもそれは、じぶんに意味がなさすぎはしないか。
おれのじぶんがまるっきり無駄ではないか。
こうして書いていても同じことだ。
どれほどこういう考えを往復したところで、
やはり、誰かの些細なひと言で、
台無しになったり、有頂天になったりする。
これからも。いまの直後も。
そして、やはり、たどり着く思いとしては、
誰の世界をも粉砕しうる
最強の些細なひと言というのは、
誰しもが発することができるということだ。
誰の世界にも朝日を導きうる
ラディアントなひと言というのは、
誰しもが発することができるということだ。
つまり、あなたもぼくも、誰かを、
台無しにしたり、有頂天にしたりできる。
しかも、なんとなく。意図せず。何気に。
そういうつもりじゃなかったのに。
慎重であれ、ことば。
勇気をもて、ことば。
そして、あきらめろ。
動じなくなることは、ない。
生きているかぎり、
誰かの些細なひと言に影響され、
ぼくは上がりながら下がりながら、
一切をくり返していく。
誰かの些細なひと言で。
ほんの、些細な、ひと言で。