FFF vol.262

誰かの些細なひと言で、
きみは落ち込んだり、舞い上がったりする。
誰かの些細なひと言で、
ぼくはうっとりしたり、ふて寝したりする。

博士であろうと、アスリートであろうと、
俳優であろうと、大富豪であろうと、
美女であろうと、アーティストであろうと、
子どもであろうと、長老であろうと。

誰かの些細なひと言で、
さいっっっこうになったり、
サイテーになったりする。

すごい賞をもらっていようと、
大傑作を生みだしていようと、
万全を期していようと、
正直でいようと、
哲学を持っていようと、
ばつぐんのお笑いセンスを持っていようと、
権力があろうと、腕力があろうと、
悟りを開いていようと、万人に愛されていようと。

どんな人であろうと、
ほんとに、どんな人であろうと、
誰かの些細なひと言で、
今日という日が満ち足りたり、
ぺらぺらのすかすかになったりする。

しっかりと足を踏みしめ歩いて行ける。
誰かの些細なひと言があれば。
からだのあちこちからぶよぶよと空気が抜けていく。
誰かの些細なひと言のせいで。
きみの進んできた道のりはすべて肯定された。
世界中の人たちが陰でくすくすきみを嗤っている。

誰かの些細なひと言で。
たとえば、わずか、ほんの、数文字で。
さいごの口もとの表情だけで。
微妙なちょっとのイントネーションだけで。
誰かの、ほんの、些細な、ひと言で。

だとすると、なんだろう、じぶんというものは。
誰かの、ほんの、些細な、ひと言で、
まったくこのライフの意味は転じてしまうのか。
あまりにもそれは、じぶんに意味がなさすぎはしないか。
おれのじぶんがまるっきり無駄ではないか。

こうして書いていても同じことだ。
どれほどこういう考えを往復したところで、
やはり、誰かの些細なひと言で、
台無しになったり、有頂天になったりする。
これからも。いまの直後も。

そして、やはり、たどり着く思いとしては、
誰の世界をも粉砕しうる
最強の些細なひと言というのは、
誰しもが発することができるということだ。
誰の世界にも朝日を導きうる
ラディアントなひと言というのは、
誰しもが発することができるということだ。

つまり、あなたもぼくも、誰かを、
台無しにしたり、有頂天にしたりできる。
しかも、なんとなく。意図せず。何気に。
そういうつもりじゃなかったのに。

慎重であれ、ことば。
勇気をもて、ことば。

そして、あきらめろ。
動じなくなることは、ない。
生きているかぎり、
誰かの些細なひと言に影響され、
ぼくは上がりながら下がりながら、
一切をくり返していく。

誰かの些細なひと言で。
ほんの、些細な、ひと言で。